学級崩壊のその後
娘が小3で不登校になった頃に、このブログで「娘のクラスは学級崩壊」を載せました。
あれから早いもので2年が経過して、あの当時と小5の現在を比べながら振り返ってみることにしました。
2年前と変わった点
- 身長が伸びた
2年前から変わらない様子
- 忘れ物が多い(宿題も含む)
- おしゃべりが多い
- 他人を責める
- テストの平均点が低い(この学年だけ平均が極端に低い)
- 注意されたことを何度も繰り返す
- 体育は大好きで得意な子が多い
思いつくだけでも、これだけあるのでもっとあるかと思います。
私は放課後に学校で働いている関係で子供たちとの接触は多いです。
娘と母子登校していたこともあり、子供たちの様子も、以前から知っている方だと思っています。
変わらない様子を書くと学級崩壊っぽいですが、一人一人は確かに変わってきているようです。
当たり前ですが年齢を重ね少しずつ係や委員会の仕事をこなし、高学年らしくなってきました。
ですが、先生に叱られすぎて慣れてしまっているようにも見えます。
連帯責任が多いのも娘にとっては最大の苦痛です。
教育がどうのこうのはここでは口にしませんが、娘だけでなく他のクラスメートも何かしらの問題を抱えて生きているのだということを感じ、複雑な思いでいます。
娘の変化
- 自分の意見を言えるようになった
- 勉強が好きになった
不登校前は恥ずかしがりやなので低学年のころは物静かなタイプでした。
学校復帰するようになり、周りのうるさい男の子達にもまれながら強くなっていったように感じます。
娘は5年生になって欠席は1度もありません。
それどころか、本人が言うに「学校に行っている方が楽」だそうです。
娘は自分の経験からいろんなことを学び、大きく成長しているのです。
私の変化
- 子供の気持ちを受け止めることができるようになった
- 不登校でもいいと思えるようになった
- 自分の人生を楽しもうと思うようになった
以前の私は娘が不登校になったのはクラスメートが原因だと思い込んでいました。
今となれば、なんて無知だったのかと恥ずかしいです。
子供たちは皆、自分の気持ちがあります。
その気持ちを否定して、協調性を求めることに疑問を感じます。
もし、今の教育制度が絶対正しいというのであれば、あの子たちは落ちこぼれと言われるのかもしれません。
他人を変えることは出来ないが自分を変えることはできる
2年たった今、自分の考え方が娘の不登校とおかげで大きく変化しました。
それよりも娘が困難から乗り越える力を不登校から学んだこと。
本人が不登校を経験したことを自分の過去として語ってくれることが多々あります。
その時の彼女は饒舌で、大人かと思うくらい自分の意見を持って話してくれます。
娘が不登校になった理由
- 算数でつまづいた
- 一度休んだら行きづらくなった
- 疲れた
娘が不登校を辞めた理由
- 勉強をしたくなった
- 家にいてやることがなくなった
学校に行った方が楽だと言う理由は、家にいて私と喧嘩して泣いていることが辛すぎるから。
「楽しい」と「楽」は同じことなのかもしれません。
勉強が楽しいらしいです。
それこそ、不登校期間3カ月の間は、一切勉強をしませんでした。
私は、娘が一人でも勉強できるように問題集も買いましたが、実際に手を付けたのは算数2ページくらいでした。
テレビもNHKの朝の子供番組だけ見てもいいことにして。
今、振り返ると問題集もNHKを見ることにこだわったことに意味があったのかは❔でしかありませんね。
辛いことを乗り越えた人間は強い
私は40代も半ば、それなりの経験もしてきて、それなりの辛いことも乗り越えてきました。
彼女は10歳の子供。
年齢は関係ないと改めて感心しています。
1つ1つ乗り越えた人間の宝物は”経験”なんですね。
不登校期間、彼女は日々辛い毎日だったと言います。
もっと早く学校復帰していればよかったのだろうかと考えますが、
娘にとっても私にとっても内容の濃い3ケ月は必要な時間だったのだと自信を持って言えますね。
結果的に不登校3ケ月、母子登校4ケ月、再不登校2ケ月の約1年間は無駄ではありませんでした。
不登校で悩んでいる方へ
まだまだ、不登校で悩んでいる親御さんもたくさんいると思います。
先の見えない生活に涙を流す毎日を送っているでしょう。
不登校が治る特効薬があればいいのにと何度思ったことでしょう。
いつか、子供が自分の意思で動くまで見守りましょう。
子供たちの苦しさを受け止めること。
子供が家で笑えるようにすること。
お母さん自身の楽しみも作ること。
生きていてくれさえすればいいじゃないでしょうか。