娘のクラスは学級崩壊
小3の娘は5月のゴールデンウィーク明けから不登校。
2学期の今は何とか母子登校中ですが最近ちらほらお休みがあります。
夏休み明けから私は教室の廊下で見学し給食前に帰宅、娘の帰宅時間には学校にお迎えを毎日続けて3ケ月がたちました。
娘の小学校は各学年1クラスしかない小さい学校です。
ですから6年間クラス替えはありません。
そのクラスは学級崩壊真っ最中です。
1年のときから問題児の多い子供たちが集まっているので先生方は苦労されていましたが、男の子がうるさいので女の子の親としてあまり関心もなく3年生になっていました。
もちろん、1年生のころから悪評や娘からの話でうるさい子たちがいて大変なのは知っていましたが、実際母子登校するようになり驚いたのが事実です。
まさか、ここまで!
授業中は鉛筆削りのために教室の前後にある削り器へ無断で向かったり、ランドセル置き場やごみ箱へ無断で立ち歩くのです。もちろん、先生の話は聞きません。手遊び、会話、口けんか、なんでもありのクラス。
10月からは担任の先生が代わり(前担任は心の病により休職)少し慣れてきたのもあり新担任も最近は頭を悩ませている様子が伝わります。そのため、ちょくちょく爆発(温厚な先生だと評判)
よくここまで我慢しました。
ですが、手遊びも多いのでお道具箱のハサミやのり、三角定規、コンパス、クーピーなど全て没収され、使うたびに渡すことにしたようです。
校長先生いわく、正しいやり方がわからないのだから何でも試してみようと担任と話したそうです。
私も賛成でした。
この子たち一人一人に合う方法が見つかればいいのですが10人ほどいる男の子たちに気づいてもらうことが大切なのではないのでしょうか。
問題の子たちの親には学校からは言えないそうなので、それであれば気づいている親の子供たちに言い聞かせて地道に直していくしかないのでは・・・・
問題のある子どもたちの親は参観日などに来ても懇談会にはくることはないのです。
話すこともできないので、本当に知り合いの親御さんと協力するしかないと。
また、報告します。
たぶん、そんなに変わらないとは思いますが。
不登校は繰り返されるのか
5月連休明けから夏休み終わりまで不登校の小3の娘。
2学期初日より登校中でしたが。。。。。
今週の月曜日から3日連続で休んでおりました。
本日木曜日は今週末行事の学習発表会の全体練習のため登校しております。
いつもであれば私も一緒に午前中を廊下で過ごしていますが、練習見学は本番にとっておきたいため娘の了解を得て行かないことにしました。
まず、どうして月曜日から再び不登校になったのか!
月曜日の登校直前に突然ぐずり始めたのです。理由はなく泣きだし、月曜日恒例の「学校に行きたくない」の連発。
いつもであれば前日の日曜の夕方あたりから「行きたくない」があるのですが、今回は特別何もなく私も危機感すらありませんでした。
それでも、恒例行事と思っていますから、学校にはその旨お伝えして、「行ければ行きます」とゆうことにしたわけです。
行く気配はなく1日二人でゆっくり過ごしました。この時点で私は明日からは普通に行けると迷いなく思っていたので心にもゆとりがたっぷりありました。
翌日、火曜日「行ってきます」と出かけて行きましたが数分で「ママ!お兄ちゃんが意地悪した、学校行かない」と戻ってきたのです。
内心、あーこれやばいな。
話し合いの結果1時間の始まる時間には私と一緒に登校することにして車で走り出した途端に「行きたくない」の連続。
私はとっさに不登校中のお友達のところに迎えに行こうと提案したのです。
これがマズかった。
お友達は行く気はなく1時間ほどお友達のお宅で遊び、学校に行こうと誘っても無理だったため娘だけ遅刻で行くことにしたら「学校行きたくない」です。
それでも、集金と給食着を学校に持って行かなくてはいけないので私だけ職員室に行き、事情を説明し今日は休むとことに。
不登校のお子さんをお持ちの方や経験あるかたならご存じかと思いますが、行きたくないから休ませるなんて親がおかしくない?と思われる方もたくさんいらっしゃるかと。
これは簡単なことではないのです。無理やりほど危険なものはありません。
この先、子供が学校に行けるか行けないかの瀬戸際にいる場合、ここが重要なポイントになるのです。
親の言動で不登校が長引くかもしれない、とにかく行きなさいとは安易に口に出すことでどん底に落ちるかも。
そして、結局水曜日もお休みしたのです。
この日は最悪です。
不登校中の悪夢がよみがえり私の心をメチャクチャに破壊させ、苦しんでいる娘へ嫌な言葉を投げかけ一緒に号泣。
こんなことがしたかったのではありません。
娘に行く勇気を与えたい!これが全ての間違いなのをわかっていて親の経験からくる上目線の言葉を言い続け疲れ果て、二人で昼寝してしまいました。
何を私はやっているのか、前と同じことを繰り返してしまった。
前の反省はどこにいったのか。
娘が悪いのではないけれど学校に行けないことを激しく罵倒する自分が恥ずかしく、情けなく。
不登校になった時点でカウンセラーの先生に、1年はかかりますと言われた言葉が私の頭にずっとあります。あれから半年、あと半年。でも1年以上かもしれません。
また、反省を繰り返し一日一日を過ごすのです。
振り出しに戻ったかもしれない。いわゆる失敗かもしれない。
でも、不登校の教科書も薬もない。
経験から学ぶしかないのは人生。
誰に教わるわけでもない。
子供と一緒に歩けることを嬉しく思い過ごしていきたい。
私は幸せかもしれないと本気に思っている今日この頃です。
母子登校中
小3の娘、5月のゴールデンウィーク明けから不登校でした。
2学期初めから母子登校中です。
ただし、先日1日だけお休みしましたよ。
ずっと、登校してきた娘にご褒美です。
理由は突然やってきました!
前日に教科書の準備をしていなかったので朝に用意を始めたのです。
なんてことはない、理科のノートがないと泣き出しました。
もちろん、学校にあるかもよとか、先生が持ってるかもよとかヒントを言いましたが
もう休むモードです。
何を言っても聞かないわけです。
案の定、学校に電話したら先生が集めていたのですが、とりあえずその日は休むことを先生も納得して頂きました。
理科のノートがないことが理由ではないからです。
そう、きっかけにすぎないのです。
私も先生も2学期頑張って登校していたので休ませましょうと一致したのです。
実は本当の理由があります。
クラスの友達が休みがちになったこと。
友達も不登校になりかけています。
もともと、1その子は、1、2年生のころから頭痛や腹痛で休むことが多く、原因はストレス性のもの。
その子のお母さんには娘が不登校になりお互いの相談にのっていたので、一緒に助け合いたい気持ちです。
お友達が不登校の原因はクラスの騒がしさです。
母子登校中の私から見ても学級崩壊であることは間違いありません。
事実、先々週から担任の先生も心の病で3ケ月の休職となってしまったのです。
このことはまた次回にでも。
話は戻り、娘が休んだ日にお友達もお休みしていることもあり校長先生から校長室に来ないか、お話しようとお電話をいただいた友達が私の娘を誘い、行くことになりました。
授業中に校内に入り、校長室へ。
私と友達のお母さんは図書室で約一時間ほど待機していました。
なにを話したかは定かではありませんが日頃のストレスを小出ししてきたようです。
あれから2週間、状況は少し良くなっています。
お友達が1日数時間だけ学校にきて廊下で授業を見学したり、給食を食べたり。
その日の気もちで行動している最中です。
うちの娘は3ケ月かかったことを彼女は数週間で学校にき始めているのです。
まだまだ時間はかかりますが、ゆっくりいきましょうね。
また。
母子登校と部活動復帰
小3娘、5月のゴールデンウィーク明けから不登校。
母子登校と部活動復帰
母子登校の様子
2学期から連続登校(母子登校中)。
朝から一緒に登校して、私だけ昼前に帰宅。
現在は順調に登校できています。
授業中の彼女はチラチラと私がいるのを何度も確認します。
面白いことに、そのほかの子供たちも私をチラチラ見ます。
娘は私が帰ってしまわないかの確認をしているようです。
休み時間になるとみんなが私の近くに寄ってきます。
「なんで○○ちゃんのお母さん来てるの?」と何度も聞かれます。
私は「お母さんに聞いてみて」と答えます。
ほとんどのお母さんが事情を知っていると信じて。
そのお母さんなりの返答で構わないと思って、そう答えています。
こんな毎日ですが、授業は暇だなあと思ってましたが、集中して見てるとなかなか面白いです。
内容はわかりませんが(笑)
普段の子供たちの姿が新鮮なんで、見れる私はラッキーですね。
部活動に復帰しました
4月から6年生の兄の所属する部活とクラブの野球に入部しておりました。
不登校になる前の1ケ月は土日も張り切って野球の練習に励んでいました。
実際は人数不足のために娘も了解のうえ入部したのですが、不登校になって即休部にしてました。
それでも、試合の応援や練習にも同行していましたがベンチに入ることとユニフォームが着れずにいました。
しかし、先週の試合にバットボーイがいないので監督からお願いされてユニフォームを着て参加したのです。
以前の娘には考えられない行動です。
不登校中でしたから気持ちに余裕がなく、「嫌」とのことで監督にも了解を得ていました。
もちろん事情はみなさんご存じでしたので特に困ることや都合の悪さもなかったわけです。
でも、頼まれて参加したとはいえ娘の心情の変化にとても驚いていたところへ、本日の試合にも自分から参加すると言い出したのです。
一進一退
母子登校とはいえ学校に行けてること、部活動に参加していることから見ると完全復活かと思います。
でも2,3日前の夜には涙を流して、学校に行くのがイヤだなーって言っていました。
本日、日曜日ですが先ほど独り言のように「あー明日学校イヤだな~」って発言してましたよ~
こういう行き渋りは1年は続くそうです。
「月曜日は毎週ですよ」って言われてます、スクールカウンセリングの先生に。
いいんです。それで!
もう怖くないです、私。
不登校中は地獄のような日々でしたから、それに比べ今は何も恐れるものはないかもしれません。
経験は武器になります。
娘にとっても私にとっても、家族にとっても。
明日も一緒に登校です。
面倒な気持ちが無いと言えばウソになりますが、娘の気持ちが安定するまで一緒に登校し続ける気持ちでいます。
目標はもちろん一人で登校すること。
では次回。
突然ですが母子登校中
小3の娘、5月のゴールデンウィーク明けから不登校。
先週から2学期が始まり、夏休みの宿題を終えた娘は始業式2日前からの学習会に出席しています。
その代わり、母である私と一緒に登校し、娘は教室の机で、私はクラスメイトから見えない影で椅子に座って過ごしている毎日です。
登校チャンス到来
学習会が再スタート
娘の小学校は低学年が始業式前の2日間、高学年が3日間とどちらも午前中のプリントなどの学習をするのが恒例となっております。
もちろん、強制ではありませんので休んでも欠席扱いにはなりません。
しかし、不登校の児童のいる家庭にはこの始業式前の登校はチャンスの1つと考えます。
スクールカウンセリングの先生からはこの学習会がまず目標、そして始業式、そして休み明けの月曜日が大切だと言われていたので、私の心は緊張でいっぱいでした。
でも、親の焦りは見せられません。
行っても行かなくても、どっちでも構わないような素振りを意識していました。
学習会は案外スムーズに行けましたね。
すったもんだがありましたが、行けなくてもしょうがないと腹をくくっていたので特に大変とは感じませんでした。
また、担任の先生が娘を考慮したのかわかりませんが、2時間のうち1時間をプラバン製作とスライム製作にして頂いたおかげで楽しかったと言っていたのです。
学習会という名目ですが、本当の趣旨は子供たちの夏休み明けの登校をスムーズにするための登校だと思います。
今は、夏休み明けの不登校が急増しているそうです。
教育の現場ではまだまだ不登校に対する反対意見が多いのも事実ですので、学校側としても手探り状態で不登校を扱っているように感じます。
始業式が不登校脱却の鍵
それでも、翌日の始業式はすんなりいかず、「行きたくない」と泣き、暴れ、そして眠り。
先生からの電話で目が覚め、何としても連れてきてくださいと言われたのです。
そんなとき、カウンセリングの先生に言われた言葉を自分に言い聞かせ冷静に娘の行動を待っていたら、準備をして結局3時間目から登校したのです。
「行きたくない」の言葉は「行きたい」ことの表れだとゆうこと。
これを信じ、黙って見守ったことが良かったのだと納得しました。
ここで思い出してみると、不登校当初あれだけ行き渋り、絶対学校に行かない姿勢を見せていた娘が始業式に行ったことは必然だったのではないかと。
カウンセリングの先生が言うように本当は行きたいけど行きたくないと言っていたんだろうなあ。
親とはいえ子供の心の中までは入ることはできないので、賭けのようなものでした。
始業式の日に欠席していたら、たぶんそのまま不登校だったと思います。
5月から不登校についての知識もそれなりに得ていたことが邪魔しそうでした。
遅刻しても登校できた娘を後押しできた自信も付いた気がします。
夏休みでも不調なんです!
夏休み中、色々なことがありました。
数日で始業式が始まりますが、宿題が終わってないのに遊びに行っている小3の娘。
遊びに行くのも宿題が終わってなくても本当はいいんです。
でも、「宿題が終わってないから学校に行かない」って言いそうで怖い。
期待しないつもりでも元気な娘を見ていると期待してしまいます。
夏休みは始まって1週間くらいたったある日、娘は昼ごはんを家族で食べていて突然パニックに陥ったのです。
ご飯粒が喉に引っかかって苦しくなり慌ててしまったわけです。
オロオロと泣き叫ぶ様子が異様に感じました。
大丈夫だよ、と何回も言い聞かせでも一人歩き走り「どうしよう、どうしよう」の繰り返し。1時間くらいかかり何とか落ち着いたものの、その日の夜中、眠っていて突然起き出し泣き出しました。
それから、1週間くらい小さなことで不安になり喉が詰まった感じに恐怖を抱くことになりました。
そのため、小児科で受診して不登校のことも伝え、喉やお腹には特別異常は見られないことを診断して頂き、子供専門も心の発達専門の小児科を教えて頂きました。
あれから、娘は自分の体に異常がないことがわかり、安心したのか状態もよくなり今はパニックも頭痛、腹痛はなくなりました。
ただ、このことで小さい頃からパニックになることがごく稀に起きていたことを想い出しました。
そこで、癇癪持ちであることに気づいたのです。
うまく付き合っていくことが大切なのかもしれないと思っています。
こうして、元気に生活して嫌々ながらも宿題をやっている姿が嬉しいのです。
学校に行く気がない子なら宿題は全くやらないはずです。
それでも学校には行きたくないと言いますけどね。
一歩進んで二歩戻り。
いつか追いつけますように。
ちょっとの変化が嬉しいと感じる
英語を習っている不登校小3の娘は英語の先生のお宅で指導を受けています。
5月から不登校になり休んだのは2度。1週間に1度で先生の娘さんは親友です。
そのため、英語のあとは1時間ほどそのまま遊ばせていただき迎えに行くのがお決まりでした。
不登校になり英語に行き始めたのは私がそばで見学することが娘の条件でした。
しかし、その日は小6の息子のスイミング教室もあり、私の送り迎えが必要なため、
往復45分は付くことができません。数回はスイミングを息子の事情で休んだので
あっさり英語に行くことができました。
しかし、息子のスイミングのテストの日はそちらが優先になるため英語にはついていられないことを娘に伝えると「ママがいないなら英語休む」との結論でした。
私も「そうか、わかった」と答え、英語の先生に休むことを連絡しました。
そして、息子を学校に迎えに行く途中、突然娘が「やっぱり英語行く」と。
私も内心嬉しかったのですが、「わかった、教科書あとで届けるから」と冷静に答えました。
娘は不思議とクラスのメンバーに合うことに拒否反応がなく、学校帰りの友達と平気で遊ぶことができるので、学校でそのまま娘を下し友達と先生宅へ、代わりに息子を乗せ
私は自宅へ戻り英語の教科書を先生宅へ届け、先生に経緯を説明して、いったん戻ったのです。
こんな嬉しいことはありません。
娘が自分から行くと言ったこと。
不登校になり英語の宿題も何1つやらなかった娘が次の週はじめて自分から宿題をし始め、たまっていた宿題も終わらせました。それも私にいつも内容を聞き、私が指示していた宿題を自分で全て考え書き込みしたこと。本当に嬉しかったです。
ただ、前進したものの明日から学校に行くわけではありません。
喜びすぎるのも良くないらしいので、平常心を忘れずに。